反骨文人



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「日本内閣雑話」(2003/3/18)

 今回は本を読んでいて「お?」と思ったことをつらつらと書いてみようと思う。皆さんは日本の閣僚たちはどれほどの権力を持っているとお思いだろうか? 田中外相時代の大臣と官僚の権力比を見て、すでに閣僚の権力を疑ってかかっておられる方も多いだろう。「閣議や総理大臣が参加する閣僚懇談会などもあるし、それなりに実行力を持ってるんじゃないの?」とお考えの方もおられるのではないだろうか。

 各省庁のトップと総理大臣が集まる閣議は、通例十分から長くて十五分ほどの時間で終了する。決めることが少ないわけではなく、むしろ案件などは大量にある。日本の政体のように個々の政策にいくつもの省庁が関わっているような組織ではなおさらである。よって十分と少しの間、各閣僚たちはひたすら案件の書類に署名していくことに忙殺され、討論などは全く行われないのが普通である。また、閣僚懇談会も少々ディスカッションらしきものが存在するだけで、時間は閣議と同様約十分ほどである。閣議や閣僚懇談会で総理と各閣僚間での意志疎通はほとんど不可能といってもいいだろう。

 そもそも閣議で上がる大量の案件はどこでまとめられているのだろうか。実は、官房副長官と各省庁の事務次官が集まって行われる事務次官会議なる会議(法的根拠は無い)が存在するのだが、実質的に各省庁からあがってくる問題の討議などはこの会議で処理されている。ここをパスしたものが閣議で署名されるといった具合なのである。実質的な権力は官僚のトップと官房長官・官房副長官が握っているというのが実状であったりする。

 また、各省庁の大臣に任命されると、その人物は秘書を引き連れて担当省庁に乗り込んでいくわけである。普通に考えてもわかるのだが、新たな職場に赴任した人物がその日からリーダーシップを発揮できるのだろうか? また、省庁内にいる官僚たちは基本的に一つの省庁に固定されており、強固な一体感を持っている。問題が起こった場合の具体的な事務手続きに通じているのも官僚たちである。大臣というのはすでに共同体として完成した集団の中にいきなり乗り込んでくる無礼なよそ者に過ぎない。さもなくば同類か積極的な保護者であろう。

 政情が悪いと大臣の更迭などを叫ぶ声が大きくなるのだが、そもそもメディアが顔として扱っている総理や閣僚たちにどれほどの実質権力があるのだろうか。閣僚や官房長官の名前を覚えている方々は多いだろうが、官房副長官や各省庁の事務次官の名前を覚えておられる方は少ないのではないだろうか。日本が官僚専制国家である、というのは目新しい事実ではないのだが、構造改革構造改革というのであればまずはこの辺から改めていくべきであろう。メディアも官房副長官や事務次官の挙動にもっと注目すべきで、そもそもがエリートでありスキャンダルの塊なのだから視聴率も稼ぎやすいはずである。情報開示を声高に叫びながら、このあたりがあまり注目されないのは本末転倒であるような気がする。

「為政者の苦しみ」(2003/3/18)

 為政者とは優秀であればあるほど同時代人からは嫌われるものである。現在の優秀でしかも人気がある人物、例えばアケメネス朝のダレイオス一世やローマのカエサル、イングランドのエリザベス一世などにしても賛美者による虚像の感が強い。大元ウルスのクビライ=カアンや日本の織田信長、秦始皇帝、漢武帝などは現在でも恐れられている人物である。また、オーストリアの反動政治家メッテルニヒや幕末の権謀家こと大久保利通などのように現在でも支持者以外からははっきり嫌われている人物も存在する。現在では好かれていても同時代人からは嫌われていた人物となるとこれはかなり多く、イタリアのカブールやプロシアの鉄血宰相ビスマルク、三国志で有名な魏武帝曹操、集団ではあるがヴェネツィア政府もかなり嫌われていた。嫌われているとまではいかないが、ギリシャのペリクレスやフィレンツェのロレンツォ=イル=マニーフィコ、日本の足利義満や徳川家康なども、特に人々から好かれているわけではないだろう。金と権力を弄んだ俗人というイメージが強いのではないだろうか。

 彼らは偉業を達成するために様々なものを破壊してきた。歴史書には残っておらずとも彼らのせいでいわれのない損害を被った者たちが大勢いることなど、想像力を働かせればすぐにわかってしまう。そのためか、よく世間では「それが政治だよ」「政治家とはそういう人種だ」とされてしまい、彼らは血も涙もない異人種であるかのようにいうが本当にそうなのだろうか。佐々淳行氏による「我が上司後藤田正晴」という本があるが、そこには「カミソリ後藤田」と呼ばれたキレ者政治家の姿と、親しい部下に時折ポロッと見せる「苦しみ」ようなものが描かれていると感じた。為政者とは、破壊と打倒を強行できる強靱な精神だけではなく、部下や敵対勢力のことを事細かに感じ取る豊かな感受性が要求される。そして優秀であればあるほど為政者はその感受性により、自らの偉業の代償として自らに跳ね返ってくる「苦しみ」に悩ませ続けられるのである。曹操のように自らの詩歌を残している場合、我々はこのような痛みを非常に鮮明に理解することができる。為政者の多くが色好みであったり酒浸りであったり、あるいはヒステリックであるのもこのような苦しみや痛みを紛らわせたかったかではないのだろうか。

 優秀な為政者とは多くの人々から多大な期待を寄せられ、あるいは敵からは憎悪の目で見られ誹謗中傷の雨にさらされている。偉業には正負の二面が存在しているものであるから、偉業を達成したところで全面的な賛美を得られるわけではない。失敗でもしようものなら、支持者からは失望され敵対者からは嘲笑があびせられる。為政者は常に巨大な精神的重圧と戦っているのである。そして、そのような重圧をはね除けた者のみが歴史に名を残す名君となれる。私が上に挙げた様々な為政者たちは皆このような重圧と戦い、見事勝利を収めた人々なのだといえるだろう。しかも、彼らの多くはこの重圧と一人で戦わねばならなかった。有事であればあるほど、人々の信頼の基準とは「力」や「強さ」といったものになるのだが、己の重圧をはね除けられない人物ではこのような信頼を得ることは非常に困難なのである。ましてや、人々を畏怖させ強力なリーダーシップを取ることは不可能となる。有能な独裁者は常に孤独な存在である。

 彼らの多くは最初は理想や使命感、名誉欲や権力欲などに突き動かされ、自分のために権力を握ろうとしているものである。しかし、そのような甘い認識は権力を握るにつれて消え失せていく。「現実の壁」が為政者の前に立ちふさがり、多くの人々の期待や友誼を抱え込んでいく。そして多くの場合、前進し、高みへ達するごとに期待のいくらかは失望となり、友誼のいくらかは憎悪となっていく。それらを全て包み込んでいけるのか否かが為政者としての器の試されるときといっても過言ではない。常に誰からも好かれようと上辺ばかりの巧言令色を用いるような輩には為政者としての資格はないといっていいだろう。人の上に立つとはそういうことなのである。

「権限の委譲と組織維持のジレンマ」(2003/3/5)

 軍隊組織の歴史を見てきた場合、そこに中央集権から権限委譲への変化という大きな流れが存在することがわかる。最初は一万人が固まって戦うだけだったのが、ローマ時代に軍団(レギオン)や中隊(マニプルス)、百人隊(センチュリア)といった具合に細分化され、それぞれの隊長に権限が委譲されていった。現代の軍隊は十数人からなる分隊が存在し、アメリカでは一人一人の兵士に戦術的思考を任せようとする試みなされている。それは軍隊という有機集団が、戦場における不測の事態に備えるために進化していったことを表している。現場のことは現場の人間が一番よく知っている。ならば現場の代表者に権限を与え、それぞれに対応させる方が理にかなっている。また、中央の指揮官には彼でなくては考えられない問題が山積みされているものである。部下に権限を委譲していけばそれだけ彼には余裕が生まれる。権限委譲とは対応スピードと中央の戦略策定能力の向上という二点において非常に理にかなった組織哲学なのである。

 しかし、理にかなった手法であるなら、なぜ誰もが分権的な組織を作り出さないのだろうか。私はそれを「権限委譲は組織維持を阻害する」からではないかと考える。最高の分権組織と、最低の中央集権組織があったとしよう。この2つの内、どちらが組織として強固であるだろうか。おそらく最低であったとしても中央集権組織の方が強固であり、一つの有機体のように機能することが可能であるだろう。もちろんその代償として、末端の対応スピードは鈍り、中央の負担は膨れあがる。権限委譲は常に組織の崩壊を招きかねない劇薬なのである。組織の歴史は、大きく見れば分権化への流れを示してはいるが、細かく見れば中央集権化と分権化が交互に起こっていることがわかる。徐々に分権化の流れを辿ってきたのも、通信技術や交通機関の発達により「距離と時間」という障害が軽減された結果に過ぎない。分権化を効率に結びつけるにも限界が存在するのだ。

 現代の日本では個々の社員に権限を委譲しようという考えと、積極的なリーダーシップを示せという2つの相反する考え方が存在している。これらを同時に追い求めることはできず、どちらかを重視すればどちらかが疎かになってしまうものである。我々に必要なのはこのジレンマを顕在化させないための高度なバランス感覚だろう。権限委譲原理主義も中央集権原理主義も、結局は組織の崩壊や負担増加による機能停止を招いてしまう。周囲の環境が変化する以上、組織も常に変質していく。我々はその変質が原理主義に傾かないよう、常に監視し続ける必要があるだろう。

「献策二:階級論(反平等論)」(2003/3/5)

 現代の日本において、階級主義というものは悪し様に批判されるだけの過去の遺物といった扱いがなされている。人々は皆、平等主義を賛美し平等主義の社会こそが素晴らしいものなのだということを堅く信じている。果たして本当に平等とは素晴らしいものなのだろうか? また、平等主義そのものも本当に平等をもたらしているのだろうか? 一つ目の問いから我々は明確な回答を見いだすことは難しいはずである。現実として、人間は皆が平等ではなく、生まれたときから財産や出身地(初等教育や生活環境)といった不平等が存在している。成長したところで、時代や歴史といった大きな流れに影響を受けてしまう。人間というものは常に不平等の中で生きる存在なのである。この事実を無視して、ただ『平等は素晴らしい』と主張することには意味がない。事実認識を欠いた主義主張は所詮は妄想に過ぎないからである。
 平等主義はそれが結果的な平等を掲げるものであれ、機会の平等を掲げるであれ、その理想を実現することはできない。結果的な平等を追い求めた場合の結果は共産主義の歴史を振り返れば明らかである。また、機会の平等とは結局は勝者と敗者、貧富の格差を作り出す一種のツールに過ぎず、これをもって平等であるとは詭弁に近いのではないだろうか。

 歴史上において、階級が存在したのは何故であろうか。強い者がより自分を誇らしいものにするためだろうか。それとも自分の子孫を永久に栄えさせようとした結果だろうか。それらの小欲がなかったとはいえない。むしろ人間とはそのような私欲を持っているものである。だが、「献策一:国家論」でも唱えたように、階級とはそもそもそのような私欲から生まれてきたものではなかった。国家とは個人を越えた集団利益を追求するために生まれた、というのはすでに述べさせていただいたところである。では、その国家の運営に実際に携わるのはどのような人々であろうか、ということになる。階級とは、国家運営のために富や権力を意図的に集中させ社会的にそれを保障してやることによって、責任の所在を明らかにするために生まれたはずである。そしてそのような活動には富が不可欠であることを考えれば、富を持てる者が階級を与えられ、集団の利益を追求するという責任を与えられるのはむしろ現実的で当然のことだったはずである。行き過ぎた平等主義が責任の不在化を招き、「一億総懺悔」などという考えるだに愚かしい考え方を招いたことを考えれば責任の所在をはっきりさせる階級主義の方がよほど健全とも思えてくる。

 私は最近、日本は大正デモクラシーと呼ばれる運動が流行り始めた時期から、実は国家が空洞化し始めたのではないかと考えている。つまり、実現不可能な理想を政府が追い始めた頃から、軍部の跳梁が始まったのではないかということである。西洋の平等主義というのは戦争の中から必要とされて生まれてきた一種の兵制である。平等とは革命の成功や国民軍を創設するための方便であったとすらいえるだろう。日本のようにそれを正しい姿だからだ、とか観念的な理由でデモクラシーを推進してきたわけではなかった。だからこそ、西洋では軍部にも受け入れられ、深く根付くことになったのである。日本のように敗戦後、アメリカの思想統制のもとなんとか「デモクラシーっぽい」国家を作り上げてきたのとは比べものにならない。平等は本当に集団に利益をもたらしてくれるのだろうか? それは新興宗教の唱える理想郷論とは違う、現実的な素晴らしいものなのだろうか?

 平等主義という理念から導き出される政策には素晴らしい点も多々あるだろう。しかしトータルで見た場合、平等主義が階級主義より優れたものだとはどうしても思えないというのが率直なところである。この2つは「異なる」だけでそれぞれにメリットとデメリットを兼ね備えているというのが本当のところではないだろうか。盲信は不幸しか生み出さない。我々は自らの常識に対して改めて厳しい目を向けなくてはならないのではないだろうか。

「献策一:国家論」(2003/3/1)

 国家とはそもそも何のために存在しているのだろうか? 一つ確実なのは自由や正義のためにあるのではないということである。歴史の流れから言わせてもらえば「集団全体の利益を守るため」というのが一番正しいだろう。もちろん、自由や正義が集団の利益に合致するのであれば国家は自由や正義と手を携えていくだろう。だが根本基準は常に集団の利益にあるといえる。中国文明が生まれたのは一つの農耕文明が黄河という大河に対抗するためであった。同じくエジプトはナイルの氾濫に対抗するため、メソポタミア文明もチグリス・ユーフラテス川に対抗するためであった。大河の氾濫をくいとめるためには個人を越えた集団の力が必要である。そのため、人々は日々の家族の生活を破壊してでも堤防を作り、治水事業に参加したのである。また、戦争もこのような中から生まれてきた。普通、古代とか中世といった時代では豊作でも餓死者が出るのが普通であった。農業技術や流通制度といった面で明らかに劣悪だったのである。当然、そこにはまだしも食べていける者たちと餓え苦しむ者たちが出てくる。餓え苦しむ者たちはまだしも食べていける者たちから食糧を奪う以外生きていく道はないと考え、そこに戦争が生まれるのである。農業的に進んでいた地域ほど戦争が盛んであったのはそれだけ人口が増加し、生産量と消費量のギャップが埋めがたいものになってしまったということを表しているのだ。生産量10に対する消費量11と、生産量1000に対する消費量1100ではどちらが悲惨であろうか。

 現代、特に日本ではフリーターをしてでも食べていけてしまうので、日々の生活を守るために国家が存在しているというのは頭でわかっていても実感として湧いてこない。だが、本来国家というものは利益共同体であり、国家間戦争というものはどちらが貧困に落ちるかという蹴落とし合いである。自由や正義、イデオロギーというものはこれらを補助する従属的な要素に過ぎないのである。国家政策について一番最初にこうした観念的なものをもってきて考える人は一度、世界中の古代史などを参考にして国家の成り立ちを学び直された方がいいだろう。そこには常に「できる限り多くの人々が生き抜いていけるように」という基本理念が働いている。自由や正義といったものはこの基本理念が圧制などによって侵されたとき、そのような圧制に対抗するための旗印や御輿となっていたものに過ぎないのである。自由や正義は断じて基本理念などではなかったのである。

 まず認識しなくてはならないのは、現実世界というものは皆が仲良く生きていくには余りにも狭すぎ、食糧やエネルギーといった「富」も世界中の需要に比べればごくわずかしか存在しないという事実である。だからこそ「機会の平等」といった正義をもって「持てる者」が「富」を独占していくというシステムが確立されているのである。現代の国家間戦争も古代と何も変わっていない。だが、これを正義のためだとか、民主主義を守るためだ、という認識だけでとらえてしまうのはあまりに危険である。無論、このような旗印や御輿の理屈を無視するというのも同様に危険である。我々は飽食の国日本に生まれ、餓死者を「信じられない」という常識の中で育った。だが、それは日本の中だけで通用する狭い認識である。我々は今一度『国家とは何か』という問いに対し、それぞれがしっかりと考え、厳しい現実世界に通用する答えを出していく必要があるだろう。

「嘘」(2003/3/1)

 結論から言ってしまえば、「嘘」が無くては人間社会は機能しない。「嘘も方便」と言うがそのような消極的な肯定では「嘘」の持つ重要性を言い表したことにはならない。「嘘」は苦しい時の藁のようなものではなく、常に活用されることで人間関係を円滑にしてくれるものなのである。逆に「正直」や「真実」といったものほど人間の心を深くえぐるものはない。世の中から社交辞令や激励が消え、冷徹な判断があふれればどうなるか。あるいは例えば政治の特に外交面において、国家の不満や正義の差をそのまま指摘すればどうなるか。扱い方が難しく、使う場所を選ばなくてはならないのは「嘘」ではなく「真実」の方なのである。私に言わせれば「嘘も方便」などという言葉よりも「正直も方便」といった方が処世訓としてはより優れたものになるはずである。

 注意していただきたいのは、多くの人が「嘘」を裏切りや詐欺と同列に扱ってしまう点である。これは全く的外れな中傷であり誤解に過ぎない。確かに裏切りや詐欺は「嘘」が含まれていることがほとんどである。しかし、だからといって「嘘」を裏切りや詐欺と同列に扱うのは『何の真実も含まない裏切りや詐欺は存在しない』という事実が見えていないからではないかと思われる。これは「いかに真実味を含ませるか」が裏切りや詐欺において重要な点であるということを考えれば納得いただけるはずである。裏切りや詐欺は「嘘」の同類でも、従属要素でもない。「真実と嘘」という二つの相反する要素を巧みにブレンドし、悪用したのが裏切りや詐欺といったものなのである。

 今、我々は「嘘」に対する偏見から解き放たれたわけだが、改めてこれとどう付き合っていけばよいのだろうか。私としては、これは全く人間同士の付き合いと同じだと思われる。人と人が付き合う時、一番大事なのは彼(あるいは彼女)の価値を認めるところから始まるのが普通だと思われるのだがどうだろうか。そして距離を置いたり、敬遠したりするのではなく普段着の付き合いを心がけていけばよいだろう。そうすれば「嘘」の長所短所もよくわかり、長年の友として彼の力を借りることも可能になるのである。「嘘」をつくことをためらってはならない。「嘘」をつかないということは結局のところ、人付き合いの術のうち半分を禁じ手扱いしてしまっているということを意味し、それだけ他人を傷つけてしまう可能性を高くしてしまっているということなのだ。四面楚歌をあえて求めたり、天から七難八苦を与えて欲しいという人は別として、俗世間で生き抜いていこうと志す以上、「嘘」の付き方くらいは修得しておきたいものである。

「ユーラシアの中の日本史」(2003/3/1)

 新年を迎えて最初の更新である。そこで今回は歴史を学ぶ人間が肝に銘じておかなければならないことを考えようと思う。ここ数年、歴史教科書問題に端を発して「国史である日本史がどうあるべきか」という話題が盛んに行われている。やれ自虐史観だ自慰史観だと過熱気味の感もあるが、実際どうなのだろうか。そもそも国史は自分の国をしっかりと認識するために必要だとされる。認識とはすなわち、自分の国に自分なりの意味づけをするということだ。その意味づけのスタンスについて自慰史観と自虐史観があるのだが、これはよく考えてみればおかしい話だ。自虐史観とは中国朝鮮の資料を基にする史観で、自慰史観とは日本の資料を基にする史観なのだが、歴史とは本来できるだけスケールの大きい見方、グローバルな視点から見なければならないものである。中国史も中国の資料だけでは不十分であり、アジア史としてアジア全体の資料(シルクロードやチベット、東南アジアや日本…)を参考にして構成するのが常識である。

 現在、中国史と日本史の間には世界的な知名度の差が存在している。中国史は世界史の一部として欠かせない存在であるのに、現在の日本史はそのような環境にないのだ。日本史はもっとグローバルな視点で研究されねばならない。アジアやユーラシアの大きな枠の中で研究されねばならない。それでこそ、世界に日本史の価値を認識させることになり、国史として大きな価値を持つことができるのである。自慰だ自虐だなどと言い争っている間はロクな歴史ができるわけがない。本当に誇りある歴史は世界に通用する歴史、世界の流れと強固にリンクした歴史だろう。西洋の価値観からも脱却した地球規模のスケールの歴史を作り上げることが必要ではないのか。

 歴史は常にその時代の常識、あるいは政治に強い影響を受けてしまう。だが、その時代でしか通用しない、その時代の政治にのみ縛られた歴史ほど安っぽく、薄っぺらいものはない。現在の日本史はいうなればもはや過去の遺物となりつつある視野の狭い好戦的なナショナリズムに呪縛されているものでしかない。自慰と自虐の差はプラスの呪縛かマイナスの呪縛か、という程度で、レベルの低さには何も差はない。

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